高価買取作家
岡鹿之助
1898年 東京府麻布区西町に生まれる
1911年 中学の時、岡田三郎助に素描を学ぶ
1919年 東京美術学校西洋画科に入学する
岡田三郎助に学ぶ
1925年 パリにする留学。藤田嗣治に師事
1939年 帰国
1952年 「遊蝶花」芸術選奨文部大臣賞を受賞する
1956年 「雪の発電所」が現代美術日本展最優秀賞を受賞する
1964年 日本芸術院賞を受賞する
1972年 文化勲章を受章する
1978年 79歳死去
岡鹿之助は、マチエールという技法を用いて、静けさに満ちた幻想的な風景画(雪景色を描いたものが多い)を多く残しました。劇評家の岡鬼太郎の長男として生まれた岡は、東京美術学校西洋学科を卒業後、勉強のため渡ったフランスで、自らの油彩画の理解が足りないことを痛感することになります。
留学した翌年、サロン・ドートンヌ(近代美術史上に大きな功績を残したフランスの美術展覧会)に初出品し、見事入選を果たすのですが、その展覧会場で自らの作品のマティエール(素材の選択、用法によって創り出した肌合いのこと)に関する欠陥を自覚します。このことをきっかけにして、顔料、キャンバスについて基礎的な学習に取り組み、独自の「点描技法」による制作を開始します。
西洋近代絵画史において点描画法を用いる代表的な作家としてジョルジュ・スーラが挙げられますが、当時の岡はそのころまだ無名に近かったスーラの作品は知らなかったといいます。スーラの点描法は、キャンヴァス上に並置された異なった色の2つの点が視る人の網膜上で混合し別の色を生み出すという、「視覚混合」の理論を応用したものであったのに対し、岡の点描はむしろ同系色の点を並置することによって堅固なマチエールを達成しようとするものでした。
これは新印象派の方法と違って、筆跡がキャンバス上で見えないように「ぼかす」工夫をし、色の明暗のバランスを取りつつ、褐色に統一された色あいをキャンバス上で模索したものです。
日本からヨーロッパに渡った作家の多くが、筆跡を強調させた表現に傾倒するなかで、日本人が苦手とされる知的分析に基づく画面構成を目指した岡は、非常に稀有な画家なのです。
当初3年のフランス滞在のつもりが結果的に約15年もの長きに渡って滞在し、油彩画のマティエールを研究しました。
帰国後は、春陽会会員となり、静謐で詩情に溢れた絵画作品を発表し続けました。
岡は、素朴さや上品さを体現し、抒情的表現を追求した「遊蝶花」や「雪の発電所」によって、戦後、純粋な造形言語を確立した画家の一人として高い評価を得ています。
「油絵のマティエール」や「フランスの画家たち」といった書籍によって文章家としても知られています。
近代フランス古典主義の示唆を受け、新たな日本的風情を持つ秩序とリズム感のある画風を樹立して、日本の現代洋画の流れを変える一石を投じた業績によって生前には文化勲章もうけました。現在、岡の作品は目黒区美術館、ブリジストン美術館(東京都中央区京橋)などで鑑賞することができます。秩序のある静謐な世界観を目指し、澄んだ色彩から放たれる詩情をキャンバスに落とし込んだ岡鹿之助。20世紀の偉大な日本画家のひとりだといっても過言ではないでしょう。
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