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高価買取作家

麻生三郎

 

1913年 東京都京橋区本湊町で生まれる

1928年 小林万吾の同舟舎洋画研究所で学ぶ

1930年 明治学院中学部を卒業後、太平洋美術学校選科に入学する

1936年 「エコール・ド・東京」結成に参加する

1938年 ヨーロッパを巡る (半年後に帰国)

1947年 新人画会の同人とともに自由美術家協会に加わる

1952年 武蔵野美術学校(現武蔵野美大)教授に就任する

1959年 第5回日本国際美術展優秀賞を受賞する

1963年 第13回芸術選奨文部大臣賞を受賞する

2000年 東京にて87歳で死去

 

麻生三郎は、戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られています。

その愛情は、対象である人物を厳しく見つめ、己を精神的にぎりぎりのところまで追い詰め、人間の存在の確かさをデッサン力でつかみとりました。

1938年2月、突如としてヨーロッパに出発し、フランス、ベルギー、イタリア各地をまわる旅に出ますが、第二次世界大戦へ向けて状況が悪化し始め、約半年後の9月に帰国しました。

帰国後は豊島区長崎にアトリエを構え、1939年には福沢一郎、北脇昇、寺田政明らと美術文化協会を結成。さらに1943年には、太平洋美術学校で出会った寺田政明、松本竣介、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、靉光らと「新人画会」を結成します。この頃は自画像に加え、戦時中という不遇の時代を生きる妻や子どもをモデルにしており、ヒューマニズムに徹した絵画とは何であるかを探求すべく、並々ならぬ努力を重ねました。

 

1944年に召集を受け入営するものの、身体虚弱の為に兵役不適とされてすぐに帰されたといいます。また空襲によりアトリエを焼失し、多くの作品が失われました。

戦争終結後の1950年代には、赤い地色の風景と人物の作品が多く見られるようになります。少しずつ人物が抽象化されていくのも、この時代の作風の特徴と言えるでしょう。

麻生の作品は、全体を通して見ても、暗く、音のない深い沼に沈み込んでいくような色合いを持つものがほとんどで、その暗さの中から浮かび上がるものを描こうとしたのではないか、と考えられています。

1951年に描かれた麻生の代表作に「ひとり」という作品があります。中心には抱き合う2人が横からのアングルで描かれており、この一見矛盾している表題は、人間の本質を描き出そうとしたことの現れのようです。

麻生の作品は私たちの目に触れる機会も多く、2010年冬には、東京国立近代美術館で「麻生三郎展」が催されるなど、数多くの美術館が彼の作品を所蔵、公開しています。今でも彼の作品は多くの日本人に愛されており、彼がこの時代に残してくれた作品の数々は、現代を生きる日本人の魂に対して「人間の本質とは何か」ということを訴え続けているのではないでしょうか。

2007年、娘で彫刻家の麻生マユの編集により出版された『麻生三郎全油彩』(中央公論美術出版)で彼の多くの作品を見ることができます。

 

ひるねこ堂では「麻生三郎」の作品を高価買取しております。
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