高価買取作家
朝井閑右衛門
1901年 大阪府大阪市南区で生まれる
1920年 上京、本郷洋画研究所で学ぶ
1926年 第13回二科展「廃園に於いて」初入選を果たす
1934年 光風会展で入選する
1936年 文展で「丘の上」が文部大臣賞を受賞する
1947年 光風会を脱退し、新樹社結成
1962年 国際形象展が組織され、同人となる
1968年 「朝井閑右衛門」称した
1983年 鎌倉にて82歳で死去
奔放な荒々しいタッチで写実と空想を織り交ぜた独自の世界を築いた画家の朝井閑右衛門。
常に第一線で活躍していながら、中央画壇からは距離を取っていた野人画家として知られています。本名は浅井実ですが、「朝から閑」と自嘲するように朝井閑右衛門と名乗っていました。
1920年、陶芸家河野公平とともに上京。1938年、上海軍報道部の委嘱を受け上海戦線記念絵画制作のため中村研一、小磯良平、向井潤吉らと同地に赴き、1945年にも上海を訪ね同地で終戦を迎えました。戦後は1947年に井手宜通、川端実、須太剋太らと新樹会を結成し第1回展に「雨の日」などを出品、同展には1976年の第30回展後解散に至るまで、精力的に出品を続けました。
文部大臣賞を受賞した作品「丘の上」は500号の大作で、道化師や音楽隊などの群像が描かれています。長い間見入ってしまう、幻想的で魅力的な作品です。
朝井閑右衛門は、重厚で色彩豊かな作風で知られています。創意工夫の人と言われ、独創の天才画家と呼ばれることもあります。彼の作品には、油彩の塗り重ねや、独特の構図などの特徴があります。
作品としては薔薇や庭、壺や人形の絵が多く残されています。中でも薔薇の絵は彼らしさがよく現れており、同じ作風で数多く残されています。キャンバスいっぱいの薔薇を厚塗りで独特の色彩で表現し、華やかさと同時に溢れてきそうな勢いが観る者を引き込みます。 変わったところでは、電線の風景も数点残されています。電線が迫ってくる感じは、ただならぬ印象を受け、観る者を不安にさせます。朝井の作品には、彼の感情の発露を感じさせるものがあり、そこが非常に興味深いと言えます。
戦前戦後を通じ常に画壇の第一線で活躍しながら画集もなく、また本格的な個展も開催することがなく、特異な生涯を貫きました。
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