高価買取作家
瑛九
1911年 宮崎県宮崎市で生まれる(本名:杉田秀夫)
1927年 日本美術学校を中退する
1934年 画家の山田光春と出会う
油絵制作に専念
1935年 中央美術展に初入選を果たす
1936年 「瑛九」の作家名で作品を発表する
1936年 フォトグラムの作品集「眠りの理由」を刊行する
フォトモンタージュも得意とした
1951年 大作「つばさ」を作成する
1960年 48歳で死去
瑛九の作品には前衛的、また抽象的なものが多く、浦和画家として有名です。
日本の画家、版画家、写真家として知られています。その強烈なキャラクターも相まって現代でも熱狂的なファンを多く擁します。また、瑛九はそのネーミングから自らをEi-Qとも自署しています。
瑛九を語る上で重要なのが、フォトグラムの作品集である「眠りの理由」です。
クオリティの高い出来映えに賛美を浴びていましたが、このフォトグラムは「フォトデッサン」とも呼ばれており、一説によれば約3,000点以上のフォトデッサンが制作されていたのではないか、とも言われています。
この作品群はどれも、抽象的に描かれていますが、どこか優しげで、スッと絵画の中に吸い込まれてしまうような、不思議な感覚を覚えます。
特に1953年に制作された「母」ですが、悲しげなのか、ただ考えにふけっているのか。
母を見つめる人物の廻りには様々な思いが交差しているようなモンタージュと、左上から覗く母と思われる人物の慈愛に満ちた眼差しが、なんとも優しくそして独創的な空気感を演出しています。
当然、このフォトグラムだけではなく油彩画にも後世に残すべき作品が多数あります。
油彩画は多くの画家が悪戦苦闘したジャンルだっただけに、瑛九の描くクオリティの高さがより一層引き立つことも特徴でしょう。
一部では、最も優秀なカラーリストではないか、とも言われ賞賛を集めています。
まさに美しく華麗であり、彼の心に眠る美を表現した作品が「海辺の孤独」ではないでしょうか。
ブルーとレッドの絶妙な色彩使いに淡い白色が何とも切なくも、まるで孤独を楽しみ、そこにしか無い美しさを保ち続ける強さを感じることができます。
また、その独特でありながら幻想世界に引きずり込まれる絵画の多くは「エロス」を感じとることもでき、どことなく官能的な雰囲気を醸し出していることも忘れてはなりません。
「果物」「音楽」など、甘美でありながらも力強さと繊細さを感じ取れます。
一方で、第二次世界大戦後は、絵画や版画(銅版画、リトグラフ)の制作に力を入れました。
泉茂や早川良雄らとともに1951年にデモクラート美術家協会を結成。自由美術家協会、創造美育協会などにも参加し、靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えました。
またエスペラントを学び、1948年には宮崎エスペラント会の機関誌のガリ切り、印刷にたずさわるなどの活動を行いました。
油彩、水彩、フォトデッサン、版画それぞれに独自の表現を求め、決して自分を模倣することはありませんでした。いつもそこには光り(最も美しい色彩)がありました。天才と謳われたこの画家は今もなお高い評価を得ており、日本の美術を語る上では無くてはならない存在になっているのです。
ひるねこ堂では瑛九の作品を高価買取しております。
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