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青山熊治

1886年 兵庫県朝来郡生野町で生まれる

1903年 洋画家を志して上京する

1907年 東京美術学校に在学。東京府主催の東京勧業博覧会「老坑夫」展覧会の2等賞を獲得する

1910年 「アイヌ」白馬賞を受賞する

    第4回文展「九十九里」3等賞を受賞する

    「金仏」2等賞を獲得する

1914年 - 1922年 ヨーロッパに絵画修行

1926年 「高原」が高く評価される

1932年 46歳で死去

 

 青山熊治はヨーロッパを中心とした絵画修業により、独自の表現を切り開き近代洋画の奇才と呼ばれた洋画家です。

青山は同じく生野町出身である白瀧 幾之助(しらたき いくのすけ)、和田 三造(わださんぞう)の後を追うように、洋画家の高木背水に師事します。後に生野町出身の明治末期に活躍した白滝幾之助・和田三造・青山 熊治は「生野三巨匠」と呼ばれるようになります。

 東京美術学校在学中にも受賞歴があり、その後も数々の展覧会に入選するなど、明治から昭和を代表する洋画家の一人として活躍しました。青山熊治はルノアールやセザンヌの作品に影響を受けたと言われており、模写も多く残しています。写生や人物画を多く残していますが、落ち着いたトーンでドラマチックな表現がなされています。絵にかける情熱は漲っていますが、穏やかな作風が特徴です。

 彼の人生を劇的に変えたのは、1914年から8年以上かけて周った絵画旅行です。第1次世界対戦中のヨーロッパという過酷な状況の下、壮絶な旅路となりました。大変な目に遭いながらも、各地で模写などをしてまわりました。友人たちの助力で何とか帰国した後も、貧乏暮らしを送り、日本の中央画壇からは忽然と姿を消す形となります。不遇な人生を送りながらも知人からの援助を受け、ようやく発表した作品が「高原」という大作です。500号という大きさをものともせず、隅々まで表現力と創造力で溢れています。実に15年振りに青山熊治が戻ってきたのです。その作品は感嘆と共に大きな評価を得、院賞を受けました。この作品をきっかけに、熊治は再び画壇で活躍するようになります。「高原」を発表した翌年の帝展にもやはり大作の「雨後」(当館所蔵)を出品して高い評価を得ます。そして、その翌年の1928(昭和3)年には、早くも帝展の審査員にまで昇りつめています。

生きているうちに評価され、影響力もある人物であったことが伺えます。

46歳の若さで急逝した青山の戒名は「高原院青空熊山居士」でした。それは、彼の人生において、作品「高原」がもつ意味の大きさを物語っているようです。

 

 

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